単純な疑問として、俺はなぜ自分がゲームを作りたくなることがあるのかよく分かっていない。まず本数自体が音楽・映画と比べると格段に少ない。公開できたのは「ナザレーヴェ」(2021)ただ1作だけである。これが音楽となれば「往昔の想い出」(2018)、「永遠に融けぬ雪のように」(2019)、「足跡」(2020)、「職場で暴れよう」(2020)、「Rise to Man」(2020)、「思考χ廊」(2021)、「あの雲に根を張って」(2021)、「Let Me Fly」(2022)と代表的なものだけを並べてもこれだけあるし、映画も「我は求め訴えたり」(2017)、「青春黙示録カズキ」(2017)、「BUSY IV」(2018)、「男子バスケ部プロモーションビデオ」(2018)、「青春黙示録カズキII-second-」(2018)、「男子バスケ部プロモーションビデオ’19」(2019)と山ほどある。何なんだこの差は。
大きな要因として、そもそも俺はゲームをプレイした経験がほとんどない、ということが挙げられる。個人でゲームを作ろうとする奇人変人は往々にしてゲームをやることが好きだし、逆に言えば「ゲームをやらない・ゲームを好きではないのにゲームを作ろうとする人」なんてのはほぼほぼあり得ない。少なくとも俺は自分の周りで見たことがない。音楽嫌いの音楽家、活字嫌いの小説家、漫画嫌いの漫画家、アニメ嫌いのアニメーター、短歌嫌いの歌人。それらと同じくらいあり得ないはずなのだ。
しかし、なぜかこうして俺は断続的にゲームを作っている。恐らくは漫画や小説より「シナリオを形にしやすいから」なのだろう。ナザレーヴェは公開した時点で「自分が自分のペースで楽しむもの」ではなくなったため挫折したが、今日から制作を始めた「亡国のエルネスタ(仮称)」は「とりあえずシステムも武器もストーリーも大筋をゲーム内で作ってしまい、細部はあとから詰める」という手法を採用し再挑戦中だ。ある程度短編の予定だが、何とか完成させたい。ナザレーヴェは公開こそしたが未完に終わっているし(意味不明)。
あとは、将来的にノベルゲーム制作にも手を出してみたい。ゲームの中では最もゲーム的ではないジャンルであるし、SRPGと並んで自分がやったことのある数少ないゲームの双璧を成すジャンルでもある。
問題は「ネタがない」ということ。ノベルゲーにもいろいろあるが、例えばギャルゲー。リアは過去にいろいろあって恋愛不信、かつ恋愛関係よりバディ的・ブロマンス的な関係性が好きなので恋愛ものを書くのがあまり得意ではない(見る分には好き)し、そこに無理やり重い過去や重いシチュエーションとともに感動をねじ込むのも得意ではない。ミステリーやサスペンス。リアはミステリーを読まないので無理。となると「月姫」や「Fate」のような伝奇か、「Rewrite」のようなバトル。それをノベルゲーでやるのか……という印象もあるが、バトルの方がネタはいっぱいあるし、現在並行中の「学園バトル・ルネッサンス」なんてまさに適している。「学園バトル・ルネッサンスのノベルゲー化計画」、いいと思います。シナリオ・キャラデザ・主題歌や特殊なBGMが俺(アレンジは完全に別の人にお願いする)で、通常BGMはフリーのを。立ち絵やスチルはやっぱ豹華さんにお願いしたいし、お金貯めないとね。
そんな感じで春休みに突入し、元気に創作やってます。今後とも夜露死苦。
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