「死ねばいい」ような自分と、「人生が楽しい」自分。

基本的に俺は「俺が作って俺が楽しむ」で100%満足できるようなおめでたい頭をしている。しかし時折(主に夜や創作が行き詰っているとき)「何で俺はこんなにすごいのに全く評価されないんだろう」となる。

自己肯定感はない。自信だってない。あるのは「自分はすごい」「自分はできる」という思い込み。それだけで20年生きてきたし、たぶんこれからもそのまま生きていく。そして定期的に、その思い込みと社会とのズレに目が行ってしまう。曲が作れて詞が書けて絵が描けても、まだ全然足りないのだ。

自分がやっていることを本気ですごいなんて思うわけがない。自分はこの世で一番底にいる人間だ。俺でもやれている作曲をやらない他の人間が謎でしょうがない。俺より優れている人間がなぜ「できない」と言う? とイライラすることは少なくない。しかし、彼らはやらない。どうやら作曲というのはちょっとは「すごい」ことらしい。

であれば、それができている俺はなぜ「すごくない」んだ? 「すごい」ことができる人は、不思議なことに「すごくない」らしい。どっちなんだよ。

理由として「基準の違い」が挙げられる。「一般人と比べて」「作曲できる」ことが「すごい」。「他の曲と比べて」「微妙」だから「すごくない」。単純な話だ。わざわざこんな記事を作るまでもなく自分で分かっていたことのはずだ。それを俺はグチグチとグチグチと誰も来ない自分のサイトに書き記しているゴミだ。こいつがなぜ今までのうのうと生きていられるのか理解に苦しむね。さっさと自分から死ねばいいものを、なぜかこいつは「生きているのが楽しい」と言い切って、ノリノリで生きている。躁鬱か? 二重人格か? お前は誰だ?

Twitterをやっていて劣等感・コンプレックス以外の何が刺激される? ないね。タイムラインに流れるすべてのツイートに嫉妬するだけの哀れな自称創作人がこちら。リア・クラウディの名前を捨てることが俺にとって一番プラスなことなのかもしれない。誰にも「こいつ病みツイうざい」と思われないしな。そういう別垢作るか? 何回目だよ……。

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