2月の頭、ふとした「あ、クウガ見たい」という気持ちからTTFC(東映特撮ファンクラブ)に入り、「仮面ライダークウガ」を見始めた。12年前にひかりTVの無料期間で見て以来の視聴だったという思い出補正もあるが、やはりとても面白い。トントン拍子で淡々と話が進むんだけど、それがいい。キャラが特に何も残せず雑に死んでいくのを「誰もかれもドラマチックに死ねるわけじゃない」という点で評価されることは多いけど、クウガの一般市民なんかはまさにそれの極地だよね。現実で起きることってドラマチックじゃないし(だから『劇的』『dramatic』なんて言葉がある)、リアルを徹底的に目指したクウガがそうなるのは必然と言ってもいい。
その上で今回のテーマは「リアル」と「リアリティ(あるいは『believability』)」は違うということ。例えば「未確認生命体の相手をした警官が毎週何十人も死にまくる」というのは「リアル」だけど「リアリティ」はない。普通の拳銃が効かないような戦闘民族からすれば厳しい訓練を経た警官だって雑兵同然。キングダムで将軍たちに薙ぎ払われるモブ兵と何ら変わりない。しかし「じゃあそんなに死んで警察はどうなるんだよ。普通の運営できないだろ」と言われると、クウガ世界の警察は警官の殉職にそこまで影響を受けていないのである(墓参りに行った杉田さんなど精神面ではともかく、『警官が激減し運営が苦しくなってきた』というような展開はない)。これに「リアリティ」や信憑性はない。
他の例では、ファイアーエムブレムで「味方の兵士が戦死しまくっていて状況が苦しい」という情報が提示されても、プレイヤーは「いや、ネームドのユニットは誰も殺さずに頑張ってますけど?」となる。実際リアルでは無血の戦争などそうそうないが、そういう「プレイヤーの行動を想定していない」ような齟齬はどうしても没入感を損ねてしまう。
そこで出てくるのが「believability」だ。例えば「ユニットは小規模な部隊の長で、ユニットのHPは兵士の数」とするのだ。そうすることで「ユニットがダメージを受けた時点で結構死んでるんだなぁ」と理解できるし、重装騎士の「装甲が硬くHPが減りにくい」というのも「完全装備だから死ににくいんだろうなぁ」となる。信憑性は高まる。これに近いのが風花雪月の「騎士団システム」。あれは補充があまりに簡単&安価すぎて「人の命が数百ゴールドたぁ安いもんだな……」とセンチになってしまうが。
重要なのは、「リアル」志向であろうと「リアリティ」志向であろうと、面白いものは面白いしつまらないものはつまらない、ということと、「リアルなんて知るか、これはフィクションだ」というスタンスで作られた名作もいっぱいあるということだ。かのジョージ・ルーカスがスターウォーズを作る上で「俺たちは『音のある宇宙』というルールを作るところから始めた」と語っていたように、面白ければ何でもいいのだ。「嘘がなくてつまらない」「嘘臭いからつまらない」はとどのつまり言い訳に過ぎない……。
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