今、個人サイトをやる意味

長文

1月、リアは増やし続けるプラットフォームに苛立ちと疲れを覚え始めていた。もはや数字を取ることは厳しくなったTwitter。ろくなMVを上げられず登録者も再生数もさっぱり増えないYouTube。再開したはいいが全く成果の出ないFANBOXとnote。

これらすべてに共通するのが「数」である。言わずもがなだが、作品の出来と数字の伸びに相関はない。数日かけて全力を出し切った会心のイラストを数十分でちゃちゃっと描いた落書きが追い越してゆく、なんてのは絵師界隈では日常茶飯事だ。リアの過去のシチュエーションでは「頑張って作って自信のある曲より自信のないイラストの方が伸びる」というアレである。これも最悪だが、伸びるだけマシとも言える。本当に最悪なのは、自信のあるものもないものも何一つとして伸びないことだ。

そもそも何で好きでやっているものでこんな思いにならねばならんのだ、という話だ。世の中には「趣味」という言葉がある。みんな大好きデジタル大辞泉(小学館)では「仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄」と定義している。すなわち趣味は技量など関係なく、やる人が楽しければ、それでいい。昨今では仕事に生き続けて定年を迎え「趣味がない」「老後の趣味を探さなきゃ」などと言っているおっちゃんおばちゃんがいるくらいだが、我々は幸福なことに探すまでもなく没頭できるそれを持っている。

数字に固執しているのは自分の意識の問題だ。周りに数字がよく見えるものを置くから数字を気にしてしまう。井の中で生きる蛙は自分が客観的に見たらどれほどの実力なのかなど知らずに泳ぎ続けている。我々は商業の世界という大海を知る必要などない。そこでリアは「個人サイト」という道を選んでみた。

個人サイト、とりわけ同人サイトというのは2000年代初頭からSNSが台頭するまでの間、同人作家による創作の場として繁栄し、その後ひっそりと姿を消していったプラットフォームだ。互いのサイトのURLを互いのサイトに貼り合う相互リンクとか、パスワードを解読してR18な漫画を楽しむとか、そういうちょっとアングラなカルチャーだったと聞いている。当然だがリアは世代ではないため又聞きである。10万年生きているが人間界に来たのは最近なのだ。フハハハハ。

2018年頃、とある一人の作家さんが同人サイトを使ったネットでの生き方について語っており、その記事からリアは個人サイトの存在を知った(漫画の途中でフラれたサブヒロインが髪を切って興奮したので見ていたという不純なきっかけ)。NL漫画を描いているその作家さん(以下O氏とする)は、Twitterではやりたいことより人の求めるものを考えすぎて楽しめなくなったという経験から「自分の『好き』を好きなだけ描いて、それを見たいと思っている人だけが来るサイトは気楽だ」という考えに至ったという。

これはまさに今のリアのスタンスと合致する。1stアルバムという形で商業活動を行った結果、リアは「自分は商業に向いていない」とはっきり分かり、途端に「売れるために」とか「数字を稼ぐために」とかを考えるのがイヤになってしまった。noteでは「作る方は好きなことを。引き換えに売る方は全力で数字を」と言っていたが、それも正直「売る」必要はないとまで思ってしまっている(無配でいいかも)。

つまりは「Breakdown of Commercialism」(2018年の自作のアルバムタイトル)。俺は商業主義でやらねえ、ついてきたい奴だけついてこい、のマインドでやっていくことが一番マッチするのだきっと。ということでリアは個人サイトを始めます。よろしくね(雑)

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