「弱み」は「強み」だったりする話

長文

自信過剰なのは自信がないから。リア・クラウディです。こういう人間なので自分のウィークポイントは(多少卑屈気味ではあるが)認識しており、その改善や応用を試みて日々の生活を送っている。だが、この「改善」というのが些か扱いの難しいものなのだ。改善のために頑張るのが難しい、ということだけではなく、改善という行為や精神的スタンスそのものが、だ。

弱みは視点を変えると……

予めことわっておくと、自分の弱点を把握・認識し改善しようとすること自体は決して悪いことではない。むしろ世間一般では「いいこと」だろう。そこに加えて、扱いが難しいのもまた事実というだけだ。

例えば「腰が重くなかなか行動しない人」がいるとする。こう言えばネガティブな性質であるし、本人も少なからずコンプレックスに感じているだろう。しかし言い換えれば「堅実に物事を考えてから動く人」でもある。こう言うと何か優秀な人っぽく聞こえる。それくらいのもんであって、絶対に良い性質も絶対に悪い性質もたぶんないのだ。

小さくまとまった凡庸な「ナニカ」

ここからが扱いの難しいポイントだ。前者のような感じで指摘されると、往々にして本人は「直さなきゃ」と考えるだろう。だが堅実な慎重派が慣れない積極行動に転じれば、当然ミスも増えるし、余計苦手意識が増す可能性だってある。性質、気質というのは本人がそれまでの人生で築き上げてきた基礎にあたるものだ。簡単に変えられないし、変えて好転するとも限らない。元あった良さが潰れて「大した取柄もない凡庸なナニカ」になってしまったら不味い。

何を作ってもそうなっちゃうなら、そうなっちゃえよ

今のリアはまさにその状況に陥りかけている。すなわち、「自分の音楽性がダサいと思って試行錯誤したが何も変わらないばかりか悪化した」のだ。

言うまでもなく、リアの音楽性は「ゼロ年代のアニソンみたいな楽曲」と「メタルとパンクに影響を受けた洋楽フォロワーの楽曲」の2つに大別される。このうち、後者は特段不満もない。引っかかっているのは前者だ。「明確にどこがダサいか言語化できないが、どうにもダサいと思われる気がする」という感覚に苛まれ苦しんでいる。「ダサいと思われる気がする」が重要だ。別に俺はこれでいいと思っているが、妄想上の他人が聴いたらダサいと思うんじゃないか、という幻覚だ。

回答は明快。幻覚なんだから気にしないでやればいいのだ。そもそもゼロ年代アニソンやメロスピ、ELLEGARDENといった人によってはダサいと言われるようなメロディ重視の音楽を通って育ってきた人間が、どうやってオサレになれよう。

そういう開き直りの記事でした。マジで小一時間かけて何を書いてるんだ。

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