去る2023年11月4日、12月9日/10日、そして2024年1月13日。この冬、リアは怒涛のペースでいわゆる「声優による音楽系コンテンツ」のライブへ参加した。結論から言えばそんなに楽しめなかったわけだが、これをきっかけに自分が音楽ライブに対し何を求めているのかがある程度明確になったようにも思えるため、レポートしつつその要素を整理していきたい。
①MyGO!!!!!――「声優なのに」という下駄
トップバッターは11月4日のMyGO!!!!!のライブ。10月頭に事情があって帰省した際、暇なのでアニメの「It’s MyGO!!!!!」を一気見し、それなりにハマった関係で参戦した。ガーデンシアターの見切れ席と言いつつ、角度的には正面側の2階席より見やすかったのでは?(少なくとも聖飢魔IIのガーデンシアターの際よりは近く感じた)と思える席であった。
隣の席にいわゆる厄介オタク集団がいたことは最悪だったものの、内容としてはある程度満足のいくものだった。生バンドなので音や演奏が楽しめるし、立希ちゃん役の林鼓子さん(はやまる)のドラムは本業でないことを疑うほどにパワフルでグルーヴィだったのでその点は非常によかったと言える。
ただ、ライブアレンジという観点では物足りなさを感じざるを得ない。「影色舞」の導入としてベースソロが入ったことや、曲間の繋ぎがスムーズだった程度で、大抵の曲は音源通り。ライブならではのメドレーやシンガロング的なパートも特になく、全体としては「別に音源でいいな」と思わされてしまった。
やはりライブでは音源を超えてくるようなパフォーマンスをやってほしいと期待している。俺の好みだけでもLed ZeppelinやDeep Purple、聖飢魔IIやTM NETWORK、T.M.Revolution、TWINTAILなど「ライブの方がいい」ミュージシャンは枚挙に暇がない。そういうものを求めてライブに行く以上、音源で代替可能なものは願い下げなのである。
その点においては声優ライブというもの自体が不適だ。どう頑張ったところで本職のミュージシャンほどのスキルを身につける時間はない。彼ら彼女らの本職は声優であり、声を使った演技である。その上プロのミュージシャンと肩を並べるほどのパフォーマンスを求めるなど、酷としか言いようがない。「声優なのに」という枕詞や色眼鏡を抜きにこれらを評価することは不可能だろう。
加えて、観客のノリにも馴染めなかった。俺がこれまで経験してきたバンドライブのノリとは文化があまりに異なる。彼らはアイドルのライブにでも来たつもりなのだろうか。UOって何だ。コールって何だ。
変なところでフーフーオイオイ言うくせしてコーラスやシンガロングでは歌わないのか。
何でだ。
こんな調子なので、当然途中からは「早く終わらねえかな」「この後のごはんどうしようかな」ムードである。最後まで楽しむも何も、一回行ってもう満足という感情になりながら俺は帰路に着くのであった。
②異次元フェス――狂気の傍には虚無が広がる
12月9日/10日の東京ドームは過去類を見ないほどの熱量に包まれた。その傍らで、シベリアやアラスカほどに冷え切った感情で立ち尽くす俺がいた。そう、虚無である。
異次元フェス。発表時点では倍率が極めて高いと予想していたため、最初からノリでの応募だった。虹ヶ咲が好きなので「せっかく虹ヶ咲が東京ドームに立つなら見届けねえとな」という感情だった。この「ノリ」が凄まじい過ちであったことは言うまでもない。
結果、2日間通し券当選。3万円近くを振り込み、開始前の運営のやらかしを横目に不安は高まる一方であった。まさか運営ではなく自身の周囲に対し絶望するとは、この時思いもしなかったのである。
初日、44列目とちょっと遠め。当然のように隣は厄介オタク。打数2-安打2で厄介オタク。あまりのうるささに音も歌も掻き消され、東京ドームのクソ音響も相まって大変なことになった。そして別に曲も楽しめない。当然だ。虹ヶ咲目当てな以上虹ヶ咲以外の曲はほとんど分からない。そこに両方のオタクでも読めない予想外のセトリが来てみろ、俺の体はボロボロだ!!
4、5時間の虚無に耐え「明日もあるのか……」と肩を落とす。だが今思うと初日すらマシな部類だった。
本当の地獄は2日目である。
初日と異なり6列目というアリーナが目の間にあるくらいの良席を引き当てた。ここで運を使い切っていたのだろう……。
左隣、現れる怪物。
地震かと思うほどの揺れは隣だった。奴は曲が始まるたびに「やった!!!やった!!!」と叫びながらマサイと呼ばれるジャンプをおこなっていた(会場はジャンプ禁止である)。彼が静かにする時間は来なかった。4時間半叫び続けていた。理解が追いつかない。
「昨日以上の最悪が訪れた……」俺にライブを楽しむ気力などもう残っていなかった。4時間半、棒立ち、虚無。いつしか、隣の怪物は泣いていた。曲が流れて咽び泣く(恐らく)成人男性の姿を模した怪物。その泣き声に対し不快以外の感情を抱くことは不可能だった。帰りたい……俺のモチベーションは完全に地に――地中深くまで潜り込みブラジルにこんにちはするほどに――落ちていた。
最後の曲「異次元☆♡BIGBANG」が終わり、俺は安堵の笑みを浮かべた。やっと終わった……3万円をドブに捨てるとんでもないイベントがあったもんだ……過去とは「過ちによって去る幸せ」と書く……己の過ちを回顧しながら、清々しい気持ちで叫ぶ。
「氏ねーーーーーーーー!!!!!!」
最悪度合いが異次元だった異次元フェスだが、もちろんいい曲もあった。SHHisの「OH MY GOD」やコメティックの「無自覚アプリオリ」、シャニマス全体曲の「Dye the sky.」、CatChu!の「オルタネイト」など魅力的な曲はあったし、それは楽しめた。しかし、そのために3万円と4時間半である。しかも厄介が隣にいればそれだけで虚無になる。
ないよ。
3万円あったらいろんなことできるよ。価格設定を安くされている方だとイラストを1枚頼めるレベルだし、ギターをRecしてもらうことも可能だよ。そしてそれは過ぎていくライブと違い、形として残って一生の宝物になる(事実、アルバム『Prison Breaker』のアートワークとして依頼した豹華さんのイラストは俺のスマホのホーム画面である)。4時間半あってもいろんなことができる。1曲作れるし、その1曲が自分史に残る名曲になる可能性もある。
あまりにもったいないことをした。
ノリで応募しちゃダメだ。
迷ったら行くな。
③虹ヶ咲6th――「声優ライブ」の終焉
などと言っていた俺だが、何とよりによって異次元フェスの直前に虹ヶ咲6thライブ in Kアリーナ横浜に応募してしまっていたのだ。「あんなんだったし落ちてもいいや……」と思っていると、両日当選。入金しないのは非常識なので、頭を抱えながら覚悟を決め入金した。
1月13日までは無理やり気持ちを高めることに終始した。初めてキングブレードを購入したり、最新アルバムを聴き込んだり、ニジガク展に行ったり、やれることをやった。
「虹ヶ咲を嫌いになりたくない」、その一心だった。
当日。Kアリーナ周辺は雨であまりに寒く、会場内も寒い。のど自慢大会が神奈川県警出動の騒ぎになったという話も聞いており、「これで厄介を引いたらどうしよう」というストレスから呼吸困難・動悸・倦怠感など体調不良はMAX。途中でぶっ倒れてリタイアも考えられるほどに苦しんでいた。以下が当時のリアルタイムのツイートである。
開演前に既に限界近いですね(疲れた)
— リア・クラウディ (@LeahCrowdy) January 13, 2024
電車内くらいからずっとろくな呼吸ができません(疲れすぎ)
— リア・クラウディ (@LeahCrowdy) January 13, 2024
会場でぶっ倒れたらしなずにすみそう
— リア・クラウディ (@LeahCrowdy) January 13, 2024
声は出しませんっていうか出せねえ
そんな健康状態ではない
電車乗って会場来てから急激にキツくなってきた— リア・クラウディ (@LeahCrowdy) January 13, 2024
瀕死である。
だが、始まってみると右隣が2席連番で空席、左隣も単独で温厚な方という超絶ラッキー。最初は声も出せなかった肉体が、だんだん活力を取り戻していく。気がつけば、ソロ曲一発目のしず子の「小悪魔LOVE♡」からもう体の動きを止められなかった。隣の空席のおかげでパーソナルスペース広めの俺でも余裕が生まれ、まさしく踊り狂うDance party in our hell, I make you a foolであった。りなりーの「私はマグネット」やミアの「Lemonade」ではみんなで歌うであろうコーラスのパートを歌い、せつ菜の「チェリーボム」では激しいヘドバンをかます。
この辺りで気づく。
周りに暴れている厄介がほとんどいない。
そして確信する。
厄介は俺だ、と。
曲に合わせて腰を振って踊り、裏拍で揺れ、歌い、ヘドバンし、ブレードをドラムのスネアに合わせて打ち込む。
あの日の怪物は俺だったんだ。
あの日二度と会いたくないと思った怪物は、俺自身だったんだ。
同時に、声優ライブの楽しみ方を理解した。声優ライブは「暴れた奴が楽しい場」なのだ。音楽を聴く場ではなく、推しを生で見る場でもなく、曲に合わせて踊り騒ぎ歌う。そういう厄介が楽しめるような構造になっていたのだ。
これだけ暴れていながら、実は音楽的に楽しかったポイントはほとんどない。Kアリーナの素晴らしい音響に対しPAやボーカルの技量は追いついておらず、クオリティとしては決して高いとは言えないものだった。MyGO!!!!!でも言ったように、これ自体は仕方のないことである。本業は声優なので、生歌が下手だろうとダンスが微妙だろうとしゃーない。そこは諦める必要がある。
しかし、
パフォーマンスのクオリティを妥協するのならば、
もう声優ライブに行く意味など存在しないではないか。
1万円を支払い、豆粒・米粒大にしか見えない距離から「その他大勢」として拝む。そんな体験の何が俺にとって楽しいんだ。
言うまでもなく俺は俺だ。「その他大勢」ではないし、「ファンのみんな」でもない。俺だ。俺が俺以外になることを強いられるような環境にいても虚しいだけだ。
これらの事情により、(Kアリーナのアクセスの問題もあるが)2日目千秋楽は欠席した。また厄介がいない席を引けるならいいが、もし厄介を引いた場合、最初の不安通り「虹ヶ咲を嫌いになる」リスクがある。のど自慢や全速ドリーマーを見る限り、厄介は確実に一定数存在する。そこを引いた瞬間コンテンツ自体への愛が冷めるのが嫌だった。であれば、これまでの声優ライブの中では格段に満足した気持ちで帰宅できた初日を最後とし、虹ヶ咲のライブ、ひいては声優ライブ全般への参加を完結させるというのは決しておかしな話ではないと考えている。
奇しくもこの千秋楽で劇場版三部作がアニガサキの完結編になることも発表された。今後の規模縮小は以下のようにこれ以前から予想していたし、ショック自体はそこまで大きくない。そもそも俺が虹ヶ咲を知ったのが2期の終了後の2022年9月なので、「初めから俺の中では完結していた」とも言える。
正直Aqours以降のラブライブで最初に展開終了するのは虹ヶ咲だと思ってるので、2024年以降も終わらないでいてくれるのはありがたい
けど遅かれ早かれ終わりは来るので、いつまでも依存するのは避けたいところ
作品の生殺与奪の権を他人に握らせるのではなく、自分で作品を作っていく段階に移行していく— リア・クラウディ (@LeahCrowdy) January 4, 2024
7thライブ以降も行くことはないだろう。俺はリアルタイムで更新される「コンテンツ」への情熱が極端に乏しい。受け手に届いた時点で最初から完結している「作品」の方が好きだ。そういうのをこれまで作ってきたし、これからも作っていく。
補足するまでもないことだが、これは「俺が声優ライブを楽しめない」という話であって、声優ライブを楽しむ人々や楽しむ行為を否定するものではないことは留意されたい。同時に「俺が楽しめない」ということも否定しないでもらいたいところだ。
俺がライブに求めるもの
さて、これらへの反応から俺がライブに求めるものを抽出していくと、以下のようになる。
①生バンド
ライブアレンジが少なかったと言ったMyGO!!!!!だが、異次元や虹ヶ咲よりはあった。正確に言うと、オフボーカル音源ではライブアレンジなどしようがない。聖飢魔IIだとオール悪魔総進撃の「JACK THE RIPPER」のような「MCからスムーズに曲に入る」は不可能である。聖飢魔IIだと「EL DORADO」のようなライブバージョンのエンディングは不可能である。そのため、俺が見たいライブにおいては生バンドは必須だろう。
②短時間で濃密に演る
今回参加したライブはいずれも3時間以上のライブであった。決して長いわけではないと思うが、すべてのライブで「早く終わんねえかな」と思わされたのもまた事実である。人間の集中力は長続きしない、いわんや飽き性の俺をや……。3時間の半分の90分でも大学の講義はキツいし、1時間くらいでもいいかもしれない。短く、その分ダラダラしないでガツガツ行ってほしい。
③箱を狭くする
1万人規模の箱は人が多すぎてステージが遠い。「演者と同じ空間にいる」以外に価値を見出せないライブは辛い。ラジオ「種﨑敦美の寿司食いてェ!!」のイベントはキャパ300とかなり近い距離で種さんを見られて嬉しい気持ちになれたので、「推しに会いに行く場」としては箱は狭いに越したことがない。
④チケット代を安くする
声優ライブはチケットが高い。気軽に行きたくてもあのクオリティに1万円ではとても行けない。3~4000円が妥当かなと思いつつ、俺がやるならストーンズのシークレット5ドルライブをリスペクトし、完売しても大赤字確定の1000円ライブにしたいところ。箱が小さければ安くても出血を減らせるし。
おわりに
ここまで、昨年末から今年始にかけて参戦した声優ライブのレポートと、そこから抽出した「俺の求めるライブ」について記述してきた。そもそも俺がライブというものにそこまで価値を見出していないのはあるが、この4回で俺の声優ライブへの熱量が皆無だと理解できたので、会場で楽しんでいる人たちを見て「俺も行きたかったなぁ」などと思う必要はなくなったのは大きいだろう。一度も行かずに食わず嫌いするのではなく、一度行ってみて「二度と行かねえ」とちゃんと拒否することは大事だ。好きなものの中でも合わないものはある。それを知ることができて、無視できるようになった。これは成長だ。
そして俺自身が作品を作っていくことの必要性も再認識させられた。虹ヶ咲は好きだが、「俺の理想の作品」ではない。納得いかないところは多分にある。その欠乏を満たせるのは自分の手で作ったマスターピースだけだ。猶予はそんなに長くない。2024年は僕の考えた最強の作品の土台を作る年にする。社会人になって時間は減るが、使えるお金は増える。作品を作りたいという情熱を忘れず、燃え尽きるときまで走っていきたい。
そんな俺の道中を見守ってくださる心優しい方々、同志の方々、本当にありがとうございます。期せずして新年の挨拶のような感じになってしまいましたが、今年もよろしくお願いいたします。
コメント