ご存知の通りリアは創作活動をやっている。それもTwitterを始めてからではなく、小学2年生からだ。なので(世を忍ぶ仮の)20歳にして約13年間創作活動をしていることとなる。今回はその経歴についてつらつらと語る。一部はTOPページにも書いてあるはずだが、あれより深堀りする。
始まりはクラスの「そうじ係」のイメージキャラクター「ほうきくん」「ぞうきんくん」「バケツくん」などからだったが、これは当時からの付き合いであるリア友の雪山深歌の影響だ。俺が始める直前、彼が「しんぶん係」のキャラとして名作「身長3mmニュースくん」を出し、それに触発された俺が「雪山に負けていられねえ!」となった、というわけだ。結局その時は「そうじ係」の本分そっちのけでキャラ作りをやっていたので先生に怒られて終わった。
しかし3年生になるとクラスも変わり……というか少子化の関係で1クラスになり、係も変わったので思う存分創作系の係をやれるようになった。雪山とのタッグを組んだのだ。当時から高校卒業までにかけて俺は頻繁に雪山を下に見ることがあったので、あれはタッグと言うより内心は「吸収合併」だったと思う(もちろん表には出さなかったが)。こうして俺の創作歴を語る上で外せない「NEWSCLUB」が誕生する。
「NEWSCLUB」は前述した「ニュースくん」とそのキャラたちを、俺が作った「クラブくん」とそのキャラたちが吸収する形で成立した。もう活動が終わって8年なので謝罪を添えて言うし、たぶん彼自身分かっているだろうけど、クラブくんのキャラは基本的にニュースくんキャラのパクリだ。クラブくんのデザインだけはオリジナルだが(頭がクローバーという結構な恐怖映像)、その仲間の「エン・ピッツ」「クー・ピッツ」兄弟はニュースくんの「えんぴつくん」「2Bくん」をモデルにしたパクリ。俺のネーミングセンスだけは当時からいいと思うけど、デザインもかなりパクリなので本当に申し訳なかった。そういう意味では「ケッシ・ケシゴッム」なんてネーミングセンスすらない上に「消しゴムくん博士」のパクリなので、本当にひどい。「ッ」が好きだったんだろうな。
ちなみにこの間に、TOPでも書いた「仮面ライダー烈火(『仮面ライダーグリフォン』とも)」などのライダー二次創作を共同制作したり、「GOD SPEED」というファイ●ーエ●ブレム覚醒を意識したSRPGの設定と攻略本だけを作ったりした。GOD SPEEDはその後タイトルだけを流用してRPGツクールのwikiで当時高校生だったというネットの知り合いとワイワイする際に使った。
NEWSCLUBの活動は雪山とクラスが分かれた小5・小6でも俺が別の友達と組む形で計4年間続き、卒業とともに事実上の解散という形になった。雪山はニュースくん関連の作品と「ゴサドン」というホラー小説など十何冊という書籍を出したが、それは雪山が「捨てる!黒歴史!」と言っていたのを「マジでもったいないからやめてくれ」と引き留めて俺が回収したので今でも実家にある。読み返すと当時の思い出がよみがえって何かウルっとくる。雪山は同じ中高一貫校に行ったのでその後も付き合いは継続しているが、この頃のような関係性は俺の性格の悪さが出て最近まで復活していなかったのだ。
中高一貫校に進学後、まず俺は相撲熱の高まりとそこから派生した紙相撲に熱中し、「紙相撲新聞」を作ってクラスで配布するなどした。頭がおかしかったので当時のことを今の友達に聞くと「こいつヤベえなって思った」としか返ってこない。結局紙相撲はその年限りで熱が冷めてしまったが、全24回もの本場所を開催し、6連覇し最多優勝記録を持つ大横綱・鬼ヶ島や、関脇から3連覇で横綱に駆け上った鋼岩などの名力士を輩出するなどかなり入れ込んでいた。
2年になるとなぜか俺は2chのSSにハマり、自分でもスレを立てて書いた。結果的には結構なバッシングを受けるほどクオリティは低く、またこの際に雪山を「一緒に2chで書こうぜ」と誘ってしまったことは今でも後悔している(彼も密かに書いていたライダーの二次創作小説をボロカスに叩かれた)。また冬にはSSの流れでラノベ新人賞への応募を目論んだが完成せず頓挫。この年は「活動を広げて失敗する」という意味でかなり苦しい一年だった。
3年でもラノベの流れは続いており、スケさんという友達とラノベの設定を共有して遊んでいた。しかしどれも完成することはなく、スケさんからも「リアはいっつも完成させられないからな」と言われてしまった。もっとも、それをバネにして給食残食ゼロのプロパガンダ映像作品「我は求め訴えたり」を学年の企画で公開し絶賛されるなど、この頃からリアの才能の片鱗は見え始めていた(自分で言うな)。
高1になった俺は友達とバンドを始めたが、見事に空中分解。友達関係はそのままだが、そのトラウマから今でもバンドが組めなくなっている。そしてその悔しさをバネに第2作目「青春黙示録カズキ」を文化祭で公開。これも大ヒット。バンドのドラムをやっていた友達からは「お前どうしちゃったんだよ、バンドやってた時の方が輝いてたぞ」と言われたが、たぶんこっちの方が輝いてるぞ! そしてその暮れには第3作目「BUSY IV」を公開し、終業式の午後にもかかわらず実に70人近い普通の生徒が集まるという歴史的快挙を達成した。この頃Twitterを始めた(リアとは別のアカ)が、全くやる気がなかったのでアズレンと相撲について語るだけの人になっていた。また作曲を始めたのもこの年。
高2になり、曲をニコニコに上げて叩かれたり、リアのTwitterを開設したりした。第4作目「青春黙示録カズキII」ではポスターに漫画家でイラストレーターのジビエ(獅子唐)先生を起用するなど結構アクティブ。そしてこの時期に現在の「セイリンガール」の元ネタとなる「マギアポリス」シリーズを作ることとなる。
高3は受験生だったが、お構いなしに絵を描きまくった。たぶん1年で数百枚近いと思う(ちゃんと数えてはいない)。今の絵は完全にこの時期の貯金で成り立っているので成長が見られないのだ。そして年末に音楽制作で覚醒し、受験間際ギリギリなのに作曲をやめられなかった。結果志望校に落ちた。アホである。
大学進学後は専ら音楽で、高校時代のような物語作りスキルは衰えてしまった。一方でSRPG「ナザレーヴェ」のようにシナリオを頑張ったものもあるので、諦めずのんびりやろうと思う。
尻すぼみだけど最近のことってあんまり書くことないね、ということで振り返りは終わりです。
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